稲垣稔次の略歴

1902年
3月3日 京都市下京区麩屋町に生まれる。
1922年 20歳
3月 京都市立美術工芸学校図案科を卒業する。
4月 東京三越本店図案部に就職する。
11月 兄死去のため7月に京都に帰り、松坂屋京都支店図案部に勤務する。
1931年 29歳
5月 松坂屋を退職し、染色工芸の研究に専念する。
1940年 38歳
4月 第15回国画会に屏風「西瓜の図」を出品し、国画会賞を受賞する。
1941年 40歳
10月 第4回新文展に屏風「善隣譜」を出品し、特選となる。
1944年 43歳
3月 第1回日展に屏風「松の図」を出品し、特選となる。
1947年 45歳
1月 富本憲吉・小合友之助らと新匠美術工芸会(現・新匠工芸会)の結成に参加する。
1950年 48歳
4月 京都市立美術専門学校助教授兼京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)講師となる。
1951年 49歳
9月 日展審査員となる。
1958年 50歳
4月 日本工芸会理事に就任する。
10月 京都市立美術大学教授となる。
1961年 59歳
5月 第16回新匠会展に壁掛 「麦の穂波」、屏風 「平家物語」3点を出品して富本賞を受賞する。
1962年 60歳
3月 型絵染により重要無形文化財(人間国宝)の指定を受ける。
1963年 61歳
6月10日 悪性腎腫瘍のため死去。東山区の通妙寺に葬られる。
1966年
4月 国立近代美術館京都分館で 「稲垣稔次郎展」が開催される。
1980年
10月 サントリー美術館で 「稲垣稔次郎の世界  京の染色 」が開催される。
1990年
4月 京都府京都文化博物館で 「〜染めの創作〜 小合友之助・稲垣稔次郎展」が開催される。
1994年
7月 鳥取県立博物館で 「京の染 小合友之助・稲垣稔次郎展」が開催される。
2002年
3月 静岡アートギャラリーで 「稲垣稔次郎の型絵染〜写生から模様へ〜」が開催される。生誕100年。
2010年
京都国立近代美術館で、「夭折の日本画家、型絵染の人間国宝 稲垣仲静・稔次郎 兄弟展」が開催される。
( 同年7月岡山県 笠岡市立竹喬美術館、9月東京都 練馬区美術館で巡回展として開催される)